2020年6月30日火曜日

悲しい報せ

6月ももう終わりです。
1年の半分以上が矢のように過ぎてしまい、こんな事は初めてと感じています。

(仕事や行事が少ないと、こんなにも時間が経つのが早く感じられるものなのでしょうか…)



一週間前、ドイツの音大時代からの大切な友人の、あまりにも思いがけない訃報に、衝撃を受けました。

正直、今こうして書いていても、まだ事実を信じ切れていない自分がいます。

何かの悪い冗談でしょう? やめて、と思いました。

こんな時なので、コロナだったのか…?と思ったら、そうではなかったらしいのです。
亡くなる二日前に急に体調が悪くなり、病院に行ったけれど、原因不明でそのまま…。
…6月に入ってからも積極的に活動を続けていたというのに、です。

今も、最後に会ったときの記憶、一緒に過ごした時の感覚がよみがえってきます。

音楽、そして、たぐいまれなる語学の才能の持ち主で、
オープンで、人や文化に興味を抱いていて、
努力家であり、実行力があり、
そして、友人を思い遣る心に溢れていて、
常に笑顔が輝いていて、それでいて、とても自然体…
…そんな言葉が思い浮かぶ人。
人として、芸術家として、尊敬する人でした。

最後に会ったときは、私の完全帰国を目前に控えており、
その頃はお互いに忙しく飛び回っていて、特に友人は時間の制限もあったはずだけれど、
「日本に帰ることにした。会えないか。」と聞いた私に、
「それじゃ、会わなくちゃ!」とスケジュールを調整して時間を作ってくれて、
2016年の7月の数日間をミュンヘンで一緒に過ごすことが出来たのでした。

太陽の光が溢れるミュンヘンで、パートナー(やはり友人)と二人、にこやかに迎えてくれて、街を案内してくれたり、オペラハウスを見せてくれたり、Isarの川で泳いだり(私はゆったり見学)、音楽や仕事の話をしたり…

まさか、こんなに突然にお別れの時が来るなんて。
友人自身、想像していなかったに違いない、
そう思うと、胸が痛んでなりません。

次に会う時はノルウェーで会わないとだよ、と言っていました。
わたしも、うん、じゃあ会いに行くよ、と言ったと思います。

いつも、人生を豊かにしていく事に努力を絶やさない人だったのだと思います。
そして、どんなに忙しくても、友人や大切な人の為の時間を惜しまず、
私が落ち込んでいたときには、とても心配そうに、一緒に考えてくれたり、
また、親友の成功や幸せを自分の事のように嬉しそうに話してくれたり、
そんな姿ばかりが目に浮かんできます。

36歳。
これからやりたい事、夢に溢れていたでしょう。
そして、
残されたパートナ―やご家族の事を想うと、
どれほどの哀しみだろうかと気の毒で、言葉が見つかりません。

今回、初めて、Live-streamingでのお別れのセレモニーを体験しました。
ノルウェーのある教会にて。
私は予め参加を希望し、Youtubeから儀式の様子をじっと見守りました。


…世の中、「コロナ」という異例の状況の中。
ニュースで、「オンライン」葬儀というスタイルを初めて耳にした時は、
えっ、葬儀をオンラインで…と、大きな違和感を感じたのでした。
が、いざ、大切な人との最期のお別れの手段が限られていたら、オンラインでもこんなにも有難いのだと、実感しました。


セレモニーは、ノルウェー時間の午後の13時から、こちらの20時でした。
画面の向こう側は明るい日の光が満ちて、鳥のさえずりが響いていました。



…5月には、日本の恩師がコロナで亡くなったという、悲しい報せがありました…。
私が、歌の世界…特にドイツ・リートの世界の魅力に出会ったきっかけとなった先生でした。
今年の年賀状で「是非またお会いしたいです」と私が書くと、
「上京の際はお知らせください、お会いしましょう」とお返事を下さり、
それはそれは嬉しかったのでした。
少しだけ暖かくなるのを待ち、3月には…と思っていた矢先のコロナ騒ぎ。
こんなことになるのなら、冬のうちに行けば良かった、と本当に悔やまれてなりません。
コロナが恨めしく、様々な言葉にできない感情があります。。


そして、生と死について考えさせられています。



その後、音大でお世話になった、やはり彼を知る先生に、悲しい訃報をメールすると、
先生はもう既に知っておられて、そして、
少しでもあなたの慰めになるように…と、ある詩を送って下さいました。
ご自分でもとても好きな詩だそうです。
ミヒャエル・エンデの詩です。


Das Lied von der Anderwelt

Es gibt einen See in der Anderwelt,
darin sind alle Tränen vereint,
die irgend jemand hätt` weinen sollen
und hat sie nicht geweint.

Es gibt ein Tal in der Anderwelt,
da geh`n die Gelächter um,
die irgend jemand hätt` lachen sollen
und blieb stattdessen stumm.

Es gibt ein Haus in der Anderwelt,
da wohnen wie Kinder beinand`
Gedanken, die wir hätten denken sollen
und waren`s nicht imstand.

Und Blumen blüh`n in der Anderwelt,
die sind aus der Liebe gemacht,
die wir uns hätten geben sollen
und haben`s nicht vollbracht.

Und kommen wir einst in die Anderwelt,
viel Dunkles wird sonnenklar,
denn alles wartet dort auf uns,
was hier nicht möglich war.

Michael Ende, 1929-1995


(日本語にも訳してみました。↓ ニュアンスなど、もっと上手に表現できるかも知れませんし、また手直しするかも知れません無断転載はどうかご遠慮ください。または、ご一報ください。)


あちらの世界の歌

あちらの世界の ある湖には 
全ての涙が集められている。
どこかの誰かが泣くはずだったのに 
泣かなかった時の涙が。

あちらの世界の ある谷には 笑い声が届く。
どこかの誰かが笑うはずだったのに 
黙っていた時の笑い声が。

あちらの世界の ある家には 
まるで子供同士のように 
思考がなかよく暮らしている。
私たちが考えるべきだったのに、
できなかった時の思考が。

あちらの世界に咲く花は 愛でできている、
私たちが交わすべきだったのに 
成し遂げられなかった愛で。

そして いつか 
私たちがあちらの世界に来ると
暗かった多くのものは 太陽のように明るくなる。
なぜなら、そこでは 
私たちを待っているのだから、            
ここでは叶わなかった全てが。

詩: Michael Ende ミヒャエル・エンデ 1929-1995
訳: 堀内由起子




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